横山たかゆき タイトル
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ご挨拶

わたしは、生まれ育ったこの芦北町が好きです。

山も海も、人もあたたかく、ここで過ごしてきた時間が今の自分をつくってくれました。

芦北の未来を育てていくのは、
特別な誰かではありません。

まちに関わるひとりひとりの、
小さな意識と行動の積み重ねです。

「ひとの意識が、まちを育てる」

誰かに委ねるのではなく、
私自身がその循環の一歩をつくりたい
その思いで、政治活動を始める決意をしました。

これからも、まちを想う一人として、
丁寧に、真っ直ぐに歩んでいきます。

実現したい5つの柱

1. 人を育てるまちづくり

子供も大人も、ともに学ぶ。
地域と学校が一緒に人を育てるまちへ。

2. 働く人を支えるまちづくり

小さな事業が続きやすい仕組みづくりを。
働く人の挑戦を、地域全体で応援するまちへ。

3. つながりを広げるまちづくり

行政・地域・事業者が顔を合わせ、協力し合う。
情報と想いが交わる場をつくる。

4. くらしを支えるまちづくり

子育て・介護・障がい、どんな立場の人も頼れる町へ。
必要な人へ必要な支援が届く仕組みづくりを。

5. まちを磨くまちづくり

町民みんなで環境を守り、誇れる景観を未来へ。
美化・防災・文化活動を通して、次の世代へ確かにつなぐ。

プロフィール写真

プロフィール

年齢39歳
生年月日1986年9月21日生まれ
出身生粋の芦北生まれ芦北育ち
家族妻と子供4人と愛犬2匹

学歴・経歴

佐敷小学校

佐敷中学校

芦北高校

芦北町役場

在職16年半・2021年退職

株式会社 松下組

不動産部門責任者

宅地建物取引士・1級土木施工管理技士

趣味・好きなこと

子どもと遊ぶ時間がいちばんの癒やしです。 外へ出て体を動かしたり、絵本を読んだり、何気ないやり取りに心があたたかくなります。

バレーボールは、中学からずっと続けている“生涯スポーツ”。 仲間と声を掛け合いながらプレーする時間は、今も大切にしています。

生い立ち

01
小学生

土台が育った時期

真面目でコツコツと取り組む"優等生タイプ"でした。 4年生から陸上部に入り、400m・800mに取り組みました。 県大会でも入賞するほど成長できましたが、学校の持久走大会では、ある同級生に勝てず、毎年"万年2位"。 悔しい気持ちと、努力することの大切さを学んだほろ苦い思い出です。 読書が好きで、童話発表会や読書感想文にも熱心に取り組み、 言葉と向き合うことの楽しさを知った時期でもあります。 物語の世界を通して、人の気持ちに想いを寄せる力が育った時期だったように思います。

小学生の写真
小学生のサブ写真
02
中学生

挑戦が"自分"をつくり始めた頃

中学生の写真

入学時には身長が170cm近くあり、顧問の先生に背中を押され、バレーボール部へ入りました。 センタープレーヤーとして、体格に助けられながらも、仲間と汗を流した日々はよい思い出です。 3年生ではキャプテンを務め、チームを支える立場の重みを経験しました。 陸上競技では1,500mに挑戦し、郡市大会を突破して県大会へ。 校内マラソンでは1年生のときに念願の優勝を果たしましたが、その後は2位、3位と順位を落とし、 「勝ち続けることの難しさ」「慢心しないこと」の大切さを学びました。 また、アメリカ・モンタナ州の子どもたちとの交換宿泊プログラムに参加。 異国へのホームステイや受け入れの体験は、価値観を揺さぶられるほど新鮮でした。 この経験が「人と違ってよい」「異文化を尊重する」という今の自分につながっています。

中学生のサブ写真
03
高校生

世界が広がった青春の時間

高校生の写真
高校生のサブ写真

まち唯一の県立高校である芦北高校の林業科で学びました。 クラスの9割が男子という環境の中、演習林での実習やセミナーハウスでの勉強合宿など、 とにかく"濃い3年間"を過ごしました。 朝から晩まで同じ時間を共有することが多く、互いの性格や弱さまで理解し合えるような、 深い付き合いが自然と生まれていきました。 部活動ではバレーボールに全力で打ち込み、県大会ベスト8の壁は越えられませんでしたが、 一生付き合える仲間と出会えた大切な3年間でした。 先生に背中を押され、弁論活動にも挑戦。 運良く九州大会へ進むことができ、大勢の前で自分の想いを伝える経験を積むことができました。 また、フィリピンでの"森づくりボランティア"に参加。 異国の自然や人々の暮らしに触れ、経済格差や多様性について深く考えさせられました。 本が好きだったこともあり、図書委員として3年間活動し、 "人をまとめるより、誰かを支える役割のほうが自分には自然だ"と気づいた時期でもありました。

04
社会人(役場勤務)

地域と向き合った16年半

社会人(役場勤務)の写真

高校卒業後、芦北町役場へ入庁し、公共土木・農業土木の分野で16年半勤務しました。 道路新設工事、災害復旧工事、農地区画整理など、地域の生活基盤に直接関わる現場を経験し、 行政の責任の重さ、そして地域の方々との信頼関係の大切さを肌で学びました。 地域の方々と向き合う日々の中で、"まちづくりは人づくり"という実感が育ちました。 バレーボールは社会人になっても続け、仲間とクラブチームを発足。 九州大会にも数回出場し、ブロックを得意とするセンタープレーヤーとして楽しんでいました。 消防団では、ポンプ車操法大会に出場。 3番員として県大会優勝、個人としても優秀選手賞をいただきました。 これまでの人生でいちばん"苦しくて、頑張った"と胸を張れる経験です。 役場勤務と並行して、地域の現場に関わる多くの役職に携わり、 人とのつながりや、地域活動の深さを学びました。 この積み重ねが、いまの自分の土台になっています。

社会人(役場勤務)のサブ写真
05
結婚後

家族に学び、支えられた日々

結婚後の写真

結婚してからの人生は、学びと感謝の連続でした。 結婚後、第一子が障がいを持って生まれました。 日々ゆっくり成長していく我が子と向き合うなかで、 "当たり前の毎日"がどれほど尊いかを教えてもらいました。 日常的な医療ケアを必要とする状況であったため、保育園は難しいと覚悟していましたが、 吉尾保育園の先生方が親身に寄り添ってくださり、 無事に登園・卒園できたことは、今でも胸がいっぱいになるほど感謝しています。 また、芦北町には、療育医療センターや支援学校といった子どもを支える環境が身近にあり、 その存在に何度も救われました。 「周囲の力に支えられて生きている」ということを、 家族として深く実感した時期でもあります。 地域のみなさんに支えていただいた経験が、 「子どもに関わる役を頼まれたら、できる限り受けよう」という姿勢につながっています。 私にできることなら、少しでも力になりたいという思いからです。 その後、さらに三人の子宝に恵まれ、家族はにぎやかに。 献身的に支えてくれる妻のおかげで、あたたかく幸せな毎日を過ごしています。 妻は看護師として責任ある現場で働く、家族の自慢の"スーパーママ"です。

06
転職

もう一度、まちと向き合う決意

転職の写真

契機となったのは、令和2年7月にまちを襲った大水害です。 発災後は最前線の復興事務にあたり、月の残業が200時間近くになる時期もありました。 その後も100時間を超える働き方が続き、 "地域のために働く喜び"と同時に、 "家族と過ごせないやるせなさと葛藤"が生まれていきました。 その経験を機に、一度立ち止まり、自分の生き方と向き合いました。 その結果、「このままではいけない」という思いが日に日に強くなり、 令和3年9月末に芦北町役場を退職。 その翌月から松下組へ転じ、不動産業務に長年取り組んでこられたご夫妻の引退もあり、 その後を引き継ぐ形で不動産部門の責任者を任されました。 未経験からの挑戦でしたが、独学で宅地建物取引士の取得にも取り組み、 一度は壁に跳ね返されながらも、二度目の挑戦で合格。 いまは2名の部下とともに、芦北町を中心に「暮らしの幸せづくり」に奔走する日々を送っています。 行政で学んだ現場感覚と、民間で積み重ねた実務力を両輪に、 このまちの未来にあらためて、しっかり向き合いたいと思っています。

後援会情報

後援会長松岡 伸治
住所〒869-5461
熊本県葦北郡芦北町
大字芦北2214-3
電話番号080-5206-5285

後援会のご案内

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